かりろく

古い書物における記述


貞丈雑記第六に「出陣(しゅつじん)の時、カリロクを呑むこと『旧記』に在りこれは訶梨勒丸(かりろくがん)と言う薬なり。一名を訶子(かし)とも言ふ薬種なり。訶子は胸の中に結ばれたる気を破(やぶ)る能(のう)あり。

出陣は生死(しょうじ)の定むる所にてある故、身の行く末を思い妻子などを思い心気むすぼるる故、その薬を用ゆる成るべし。」
と記されています。

貞丈雑記第四 座鋪飾の部には かりろくの事1「東山殿御飾書(かざりしょ)」にかりろくと言う物ありて、かたちかくの如くなり。・・・柱にかけて置く物なるべし。柱飾りも、かりろくも、薬などを入るる物かと思わるるなり。

和漢三才図会「喬木類」訶梨勒(かりろく) 訶子(かし)の項に「腸壁(不節制による腹痛下血)・久泄(慢性下痢)赤白痢を治す。痰を消し、気を下ろし、食をよくかして大腸を充実させる。」
と記されています

類聚雑要抄に言う
「訶梨勒丸は諸風並眼病、大便不通、服之云々」
同書に訶梨勒丸を手箱の中に納め置く事も見えたり。

香と民俗信仰


病の原因が分からなかった昔の人々は、悪霊や魔物に取り付かれたからと信じていました。魔物が嫌がるものを身につけたり、匂いを発したり、家に飾ったりして魔除けとしていました。

案山子(カカシ)は嗅がせ(カガセ)の転じたものと言われ、初期は畑で髪の毛を焼き、強い匂いを発して鳥獣から作物を守っていました。

現在でも神奈川県金時山の麓では女性の髪の毛を入れた袋を木の根元に置き、猪に荒らされる庭や畑を守っている所があります。

焼かなくても置くだけで嗅覚の鋭い獣に対して、匂いの効果があるのだそうです。

節分の鰯の頭を焼き戸口に挿すことも強い臭気から鬼や悪霊を祓うための風習として伝えられています。

中でも5月5日の端午の節句では香の強い菖蒲や蓬(よもぎ)を屋根に吹いたり、後に変化し菖蒲湯に入ったり柏の葉で包んだ柏餅を食する風習は広く伝承されています。

また薬玉は元来薬用植物の束を飾ったのが始まりと言われこれにも菖蒲が使われています。

薬玉は一部を除き、一般では祝賀会や式典の時に色紙(紙ふぶき)をいれ薬や香で邪気を払い清める古来のものとは変化しています。

このように日本の香は悪霊や害獣から身を守る知恵に外来の仏教文化が集合し、やがて貴族、武士、町民文化として受け継がれ、日本の民俗、年中行事として現在に継承されていると考えています。

訶梨勒(かりろく)の変遷


現在、正倉院御物に鑑真和上が当時もたらしたといわれる「かりろくの実」が1つ残されているそうです。

初期は訶梨勒の乾果そのものや石、胴、象牙で形を模したものを邪気払いとして柱にかけていました。

後に美しい緞子、綾絹の袋に五色の糸(青(せい)黄赤(おうせき)白黒(びゃっこく))で結ばれた12個のかりろくの実を納め、茶道、香道の床飾りに発展しました。

東山山荘に掛けられたといわれる足利義政好は長い5色の緒を飾り結びで垂らしてあります。

かりろくに薬効があることから以下の説話が残されています。

涅槃図(室町時代)


釈迦が涅槃に入ったことを知った釈迦の母 麻耶夫人が天上から駆けつけ、袋に入れた訶梨勒の実を投げるも、沙羅双樹の木に引っかかり届かず。 との様子を表した涅槃図が残っています。

釈迦の入滅の時の様子を絵にした涅槃図で現存最古のものは11世紀(1086)和歌山県金剛峰寺の仏涅槃図です。

訶梨勒の袋らしきものが描かれた涅槃図はこれより後の14、15世紀頃のものに見られます。

釈迦の死因は豚肉もしくは茸に当たり下血を起こすほどの下痢であったといわれています。

先に記しましたように訶梨勒には下血、下痢に対する薬効があります。
この沙羅双樹に樹に掛かった袋が現在のかりろくの原型ではないでしょうか?

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